シャルトリューをもっと知りたい!そんなあなたへプチ情報

まあるい身体にゴールドの瞳、きゅっと上がったキュートな口元がとってもかわいい人気の猫といえばシャルトリューですよね。輝く青灰色の毛皮は、ブルーと呼ばれる人気の毛色です。モッフモフの手触りは、ダブルコートという二重構造になっているためです。

寒い時期によく見ると、毛並みの中に長い毛(オーバーコート)と短くてたくさん生えているやわらかい毛(アンダーコート)があるのが分かります。この2種類の毛のおかげで本人(本猫?)はとっても暖かいんですよ。

シャルトリューの起源には諸説ありますが、どうやら寒いところの出身であることだけは間違いないようです。そこで今回は「微笑みの猫」シャルトリューが大好きなあなたに、プチ情報をお届けします!

 

シャルトリューをもっと知りたい!
そんなあなたへプチ情報

 

歴史の中のシャルトリュー

シャルトリューがどこからやって来た猫なのかはいくつかの説があり、はっきりしたことはまだ分かっていません。生まれ故郷のフランスでは16世紀を最初に何百年かの間にシャルトリューの起源と見られる猫についての記述が繰り返し現れることから、当時そのような特徴をもった猫の存在が認められていたことが分かります。

16世紀イタリアの博物学者で植物の収集・研究で有名なウリッセ・アルドロヴァンディの猫に関する文献「シリアの猫」は、昔シリアからやって来たがっしりとした体形にグレーの毛であると描写されていることから、シャリュトリューの起源ではないかと考えられています。

また、フランス人のサヴァリ・デ・ブリュロン兄弟によって1723年から1730年の間に初版発行された『総合商業辞典』には、「シャルトリュー」とは青灰色の猫の毛皮、または「その毛皮を商う商人」を意味する言葉で、その種類の猫を最初に所有していたのが修道士だったことから、シャルトリューという呼び名がついたと書かれており、これがシャルトリューの呼び名が文献に登場する最初で、現在よく知られている説の始まりだと考えられています。

1756年に発行されたフランスの博物学者ビュフォンの『博物誌』のなかでもブルーの毛を持つ猫については触れられていますし、1748年に著された哲学者ディドロの著書『お喋りな宝石』の中にもシャルトリューのことが書かれています。ディドロはダランベールとともに百科全書の編纂にあたったことで名高いですよね。

絵画の世界でも、1747年にフランスの画家ジャン・バティスト・ペロノーによって描かれた婦人の肖像画にはシャルトリューと見られる灰色のがっしりとした猫が描かれています。次の項では、よく知られているシャルトリューの起源説についてご紹介します!

 

起源説1−スペインの羊毛説

シャルトリューの呼び名が「18世紀前半のスペインの羊毛に因んでいる」という説もあり、ちょうどこのころと時期が重なりますね。18世紀前半のヨーロッパといえば、イギリスで産業革命が起こり、羊毛工業が飛躍的に発展する時代の初めの頃です。

スペインにはもともと羊毛産業がありましたが、8世紀をはじめにアフリカの様々な勢力とキリスト教勢力との攻防が続き、12世紀に北アフリカの牧畜民族であるムーア人の支配を受けた際、ムーア人たちの連れてきた羊が現在の羊毛製品の主流を占めるメリノー羊のご先祖です。

改良されたメリノー羊は純白で縮れが多く、細い良質の毛を持っており、国王が輸出を禁止するほどの人気を得てスペインに莫大な富をもたらしました。庶民の手の届くものではなかった羊毛製品が一般の人々に普及するようになったのは18〜19世紀の産業革命で大量生産が可能になったから。

さて、肝心のシャルトリューとの関わりがどうなのかは謎のままですが、シャルトリューのしっかりした毛の手触りが羊毛に似ていることから羊毛説が生まれた理由かもしれませんね。

 

起源説2−十字軍説

「十字軍と一緒にヨーロッパに渡って来た」という説もありますね。十字軍の遠征は1095年のクレルモンでの公会議を受けて第1回が1096年 から 1099年にかけて行われたのを皮切りに1200年代まで断続的にヨーロッパ各国から行われたので、この説ではかなり歴史を遡ることになりますね。

 

起源説3−グラン・シャリュトリューズ説

「修道士が北アフリカから船で連れ帰ってきた」、「リキュールの名前に因んでいる」などは、フランスの中でもスイスとの国境に近いフレンチ・アルプスの山岳地帯でのお話です。シャルトリューズ山系という呼び名で知られ、ここにあるのが11世紀に創始されたカルトジオ会の総本山、グラン・シャルトリューズ修道院です。

この会派の修道士のことをフランスでは「シャルトリュー」と呼びました。創始者の意思により勢力拡大を抑えていた13世紀で37、14−15世紀の最盛期には195もの修道院を持っていました。

近くの大きな町としてはグルノーブルがあり、バスで30分くらいの距離だそう。またスイスのジュネーブにも近いところです。修道士たちの生活を取材したドキュメンタリー映画『大いなる沈黙へ−グラン・シャルトルーズ修道院』が2014年に岩波ホールで公開され、記憶に新しいという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この修道院にまつわるシャルトリュー起源説はかなり有力と見なされているようです。映画をご覧になった方はご存知だと思いますが、修道院は標高約1000mという所に建っていますので、冬場は雪が積もってとっても寒そう!でもシャルトリューの密なダブルコートの毛皮なら、そんなところでも暖かくして生き延びて行けそうです。

 

起源説4-リキュール説

シャルトリューズといえばまずシャルトリューズ修道院で今なお製法が管理されているリキュールを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんね。その調合法を知るのはたった3人の修道士という、謎に満ちたお酒です。

フランスのハーブ系リキュールの銘酒として知られるシャルトリューズは、スピリッツに130種類もの薬草を漬け込んだもので、ヴェール(緑色)とジョーヌ(黄色) の2種類があります。起源が古いのはヴェールのほう、1605年にフランス王アンリ4世の時代、秘薬としての製法が宮廷に献上されます。

1767年にシャルトリューズで製造が始まると、修道院に宿を求めて訪れる旅人の疲れを癒すため振る舞われたり、病気の村人の治療に使われるなど、薬として重宝されていましたが、修道院とは別に工場を建てて本格的な生産が始まります。

ジョーヌが誕生するのが1838年。アルコール度を40%に抑えた、よりデリケートな味わいに仕上げられました。ヴェールのアルコール度数は55%といいますから、確かにソフトかも知れませんね…。ヴェールは「栄光のグリーン」、ジョーヌは「リキュールの女王」と並び称されて各国の王室や貴族の間で愛飲されました。現在では蒸留や熟成などの工程が加わり、等級もいくつかあって、良いものになればその味わいは絶品とか。

ウイスキーの蒸留所では原料の穀物を荒らすネズミを狩る「ウイスキーキャット」がおり、ハイランドパーク蒸留所では代々同じ血筋の猫がその職にあたるといいますから、シャルトリューズのリキュール工場にもそんな猫がいたらと想像が膨らみますね!

 

いかがでしたでしょうか。

第二次世界大戦が終わるころには資源として乱獲されたこともあり、他の猫同様に激減したシャルトリューですが、戦後愛好家の手厚い保護により復活を遂げました。毛皮としての歴史の始まり、そしてこうしたエピソードにより、悲劇の猫と呼ばれることもありますが、終戦間近、1944年12月にはこの日本でも「犬猫供出命令」が出され、数万から数十万匹の犬や猫が毛皮などの資源として殺されました。

また、環境省が毎年まとめている統計データによれば、平成25年に殺処分された犬と猫の数は12万8千匹です。統計を取り始めてから大幅に減少したこの数字、これとは別に引き取られた犬猫が4万8千匹いるということが救いですが…やっぱり何とかしたいですよね!いつの時代よりもずっと豊かな現代。小さいとはいえ、一個の命。毛の生えた相棒とは最後まで一緒にいたいものですね。

 

まとめ

シャルトリューにまつわるエピソード

・百科全書家も注目!灰色の猫
・羊毛説−猫も羊もアフリカからやって来た?
・十字軍のお土産かも…謎の起源説
・修道院の猫!グラン・シャルトリューズ
・リキュールと猫、あなたはどちら派?


連記事